こんにちは、ハーシー鴨乃です。
前回の四国から瀬戸大橋を渡り、本日やってきましたのは、岡山県です。
日本三名園の一つに数えられる「後楽園」や、白壁の町並みが残る「倉敷美観地区」など、観光名所も多く、また瀬戸内海に面した温暖な気候から、葡萄や桃などの果物栽培が盛んな土地としても知られています。
「晴れの国 岡山」というフレーズを、耳にした方もいらっしゃるかもしれません。
これは実際、ここ岡山市が、県庁所在地における降水量1mm未満の日数が全国最多であることからつけられた、県のキャッチコピーだそうです。
さてこちら、木洩れ日の中、猫が木立の向こうをはるか見晴るかしているのは、岡山市北区にある岡山城。
戦国武将の宇喜多秀家が1590年代に大改修を行った城で、黒漆塗が特徴的なその外観から、「烏城(うじょう)」とも呼ばれています。
猫がひと休みしているかたわらの句碑にも、「きしちかく 烏城そびえて 旭川 ながれゆたかに 春たけむとす」と刻まれています。
ところで戦国武将の宇喜多秀家といえば、早くから豊臣秀吉の寵愛を受け、紀州征伐や九州征伐、小田原征伐、文禄の役などでも、若齢ながら大いに活躍しました。
勇猛果敢な気性と、育ちの良いルックスが相まって、近年“歴史女子”たちの間でも、イケメン武将として注目を集める一人です。
しかしその運命は、天下分け目の大いくさ、関ヶ原で大きく明暗が分かれました。
負け組・西軍の主力として戦いに戦い抜いたものの、同門の小早川秀秋の裏切りによって壊滅。
その後は八丈島に流刑になるという、どこかしら不運な人でもあります。
まこと、運・不運というのは、人の生活や生涯を時に大きく左右するもの。
しかし一方でこんな一面もある、ということもまた、心の片隅に置いておきたいものですね。
運命というものは、
人をいかなる災難にあわせても、
必ず一方の戸口をあけておいて、
そこから救いの手を差しのべてくれるもの
(セルバンテス/『ドン・キホーテ』より)