——私が猫と戯れているとき、
ひょっとすると猫のほうが、
私を相手に遊んでいるのではないだろうか——
フランスの思想家モンテーニュが、『エセー』の中で語っている言葉です。
西陽が射し込む神楽坂の路地裏で、猫が戯れる姿を見た時、ふと頭をよぎりました。
こんにちは、ハーシー鴨乃です。
「猫の居る風景」、4回目は東京・神楽坂からお届けしています。
冒頭から、いつになく文学的な気分に浸ってしまうのも、神楽坂という街の空気のなせるわざかもしれませんね。
東京都新宿区にある神楽坂界隈は、大正時代に隆盛を誇った花街。
迷路のように入り組んだ細い路地には石畳が敷かれ、かつての花街の名残をそこかしこにとどめています。
江戸時代には蜀山人、明治期になると尾崎紅葉や泉鏡花などが住み、関東大震災以降は、日本橋や銀座からたくさんの商人がやって来て、連日夜店が開かれ、大層にぎわったとか。
多くの作家や文化人に愛された街で、夏目漱石や田山花袋、林芙美子などの小説にもしばしば登場します。
「神楽坂の毘沙門の縁日で八寸ばかりの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜しいと云ったら、赤シャツは顋を前の方へ突き出してホホホホと笑った。」
(夏目漱石/『坊ちゃん』)
かつての文豪の足跡に思いを馳せながら、石畳の路地を歩いていると、一匹の猫が、路傍に咲く花を眺めていました。
花の命は短くて
苦しきことのみ多かりき
(林芙美子)